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プラハ・・・その2(旧市街)

2009.06.18 (Thu)

プラハの旧市街観光の続きです。

市民会館は名前からは想像できない豪華な建物です。
ガイドツアーで内部を観光できるので、参加してみました。
IMG_4231_2.jpg


内部装飾はそうじてアールヌーボーでレトロな雰囲気。
ここの最大の見所はスメタナホール(後で詳しく書きます)と市長の間です。
市長の間はチェコ出身のミュシャによる装飾で見ごたえありました。

ミュシャデザインのステンドグラス
IMG_4466_1.jpg


壁も天井もミュシャの絵で飾られています。
ミュシャは自国を離れて生活していましたが、祖国への愛国心がとりわけ強く
膨大な量の装飾依頼をすべて無償でひきうけたそうです。
IMG_4467_1_1.jpg


これはソファの背もたれ部分だったかな?こんなところにまでミュシャの絵が!
IMG_4471_1.jpg


市民会館の内部はガイドツアーのみでしか入れませんが、
中のチケット売り場や1階のカフェだけでも、アールヌーボーの世界に
浸れます。お勧めです!

王の道沿いの家では紋章がついている家をよく見かけました。
昔は番地がなかったので、これで各家を区別していたそうです。
IMG_4224_2_1.jpgIMG_4265_1.jpg
IMG_4623_1.jpgIMG_4302_1.jpg

街中ではトラムをよくみかけました。
ちょっとレトロな車体が街並みに合っていてGOODです。
建物の中から電車がでてくるような錯覚を起こす道路がいくつかありましたが、
作られたのは建物が先なんでしょうか?それとも道路の上に家を建てた?
ちょっと不思議な光景です。
IMG_4326_1.jpgIMG_4281_1_1.jpg

プラハを語る上で他国に支配されてきた歴史をはずすことはできません。
プラハのもともとの基盤を築いたのはボヘミア王国ですが、
17世紀初頭におきたビーラー・ホラの戦いで敗北し、ハプスブルク家の
傘下に入って以降、他国の支配を受け続けました。
**ビーラー・ホラの戦い(1620年)
プロテスタント派ボヘミア貴族がカトリック神聖ローマ皇帝軍と武力衝突した。


旧市庁舎前に描かれた白い十字架はビーラー・ホラの戦いに
敗れた27人のボヘミア貴族の首が置かれた場所です。
IMG_4441_2.jpg


ドイツ支配時代、チェコ語を自由に話せなかったチェコ人達が
「チェコ語によるチェコ人のための舞台を」のスローガンのもとに作った国民劇場。
IMG_4382_1_1.jpg


綺麗な街並みの影にある複雑な歴史が、この街を一層魅力的なものに
していると思います。
こうした民族意識を元に芽吹いた芸術については後ほど。
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コメント

読み応えのある、その2

プラハといえば「プラハの春」という言葉を思い出しますね。
市民会館で行われる音楽祭にあわせたツアーがあったような??
ステンドグラス、素敵ですね。
友人もこのステンドグラスと石畳の写真撮っていました。
家についている紋章、日本で言う家紋とは違うのでしょうか?
田舎に行く蔵などに家紋がありますよね。
スゥエーデンのガムラスタンでは古いビルに番号がありましたね~

みーたんさん

プラハの春コンサートは毎年5月12日から5月中くらいやっているようです。
初日のスメタナのわが祖国のチケットは入手が困難なようですよ。
私が行った時もコンサート期間中だったはずなんですが、
街中は思ったほど混んでいませんでした。
紋章と日本の家紋は同じようなものだと思っています・・・・
・・・根拠はまったくありません(汗)。
ところで、ガムラスタンの古い建物に番号があったんですって!?
気がつきませんでした(涙)。
昔から番地が整っていたんでしょうね。

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